
心理学を専攻していた人なら、おそらく誰もが一度は「夢分析」の授業を受けたことがあるかと思います。個人的な経験では、若い頃の学部時代に受けた夢の授業での「簡単には理解し難い」イメージが影響して、それ以降、長い間夢を解釈することを避けていました。
夢はその人のとても個人的な体験なので、型にはめて考えることはとても難しいものです。夢という分野自体、学問として捉えられはじめてからまだ歴史が浅いので、心理学者それぞれの捉え方やスタイルも、確立されているようで確立としていない、という印象もあります。
たとえば、フロイト派は夢には性的な意味があると考え、アドラー派はアイデンティティを模索する意味があり、ユング派は元型(アーキタイプ)をもとに意味を探り・・・と、どの心理学者の視点から見るかによって、解釈が変わってきます。夢の意味を探ること自体は心理学で始まったことではなく、実は古代から使われてきた叡智でもあります。原住民のシャーマンであったり、巫女さん的な役割を担う人々は、夢を頼りに「神からのお告げ」や「健康に関すること」そして「未来に起きること」を読み取ってきた長い歴史があります。
人は皆、覚えている人もそうでいない人も、毎日平均3~5つの夢を見ていると言われています。毎日それだけの時間が夢を見ることに費やされているわけですから、夢にはなんの意味がないと無視してしまうより、どんな意味があるのだろうと考えてみるほうが、実は自然なことなのでしょう。そう思いはじめた頃、再び夢の解釈についての勉強を始めることになりました。
ドリームワーク
大学院で心理学を学びはじめた頃、夢研究家ジェレミー・テイラー師のドリームワークという手法に出会いました。彼の素晴らしい洞察力や懐の深さに魅了され、また「夢はあなたが既に知っていることだけを見せてくることは絶対にない。」「夢はあなたの意識よりも、常に3歩先を見ているのだ。」という言葉にハッとさせられ、その後ジェレミーから専門的に夢の解釈の指導を受けることになりました。
ジェレミーは、現代の夢研究家のほとんどそうであるようにユング派の影響を強く受けていますが、それ以上に、夢に対して愛と思いやりを持って神聖に扱うところがとても特徴的です。また、彼の強い信念の一つに、ドリームワーク(夢の解釈をしていくワーク)は人々の心身の健康を整え、結果的には社会に平和をもたらすのだ、というものがあります。最初は、夢と社会平和を結びつけるなんてちょっと大袈裟だな、と感じていた自分ですが、ドリームワークというツールを通して夢についての学びを深めてゆくにつれ、彼の言葉の意味を深く理解できるようになりました。夢って本当にすごいんです。
夢のワークとシンボル
夢のワークに興味がある人は、まずは朝起きて夢を忘れないうちにノートに記録することからはじめてみます。最初のうちは断片的でも全然構いません。覚えていることを、とにかく思い出せるだけ書き出してみるようにします。そして、ノートに書き出しているときにはもう夢のことをほとんど忘れかけていて、夢のストーリー全体が思い出せなかったとしても、夢研究家と話しながらセッションをしてゆくうちにじわじわと情景を思い出したり、ストーリーの意味が分かってくるというのがドリームワークの特徴です。
また、夢の意味を考えてみたいと思うとき、夢に出てくるシンボルに注目してみるのは一つの方法です。夢は個人的な体験であり、人それぞれにユニークなものなので、このシンボルはこういう意味、という断定的な答えを出すことはほとんど無理だと言えるのですが、それでも長年にわたる夢の研究をしてきた専門家たちが共通して、「これにはこういう意味が含められている可能性が高い」というものが実は数多くあります。例えば、「水」はこんな感じです。
「水」
水は夢の世界の言語では「感情」を表すものとして捉えます。また、感情は私たちの潜在意識や無意識に深く関わっているため、潜在意識・無意識層で起きていることという意味もあります。水に関する夢を見たのであれば、それが海なのか川なのか、またはプールなのかなどを思い出して、水の状態がどんな風だったかを考えてみるます。すると、ここ最近の自分の感情の状態・感情のバランスなどを知ることができます。
たとえば、洪水が起きて避難する夢を見たのであれば、このところ感情的な出来事が多く続いていて、正常な流れをはみ出して氾濫を起こすくらいになっている、という捉え方をすることができます。洪水から逃れるために避難しているのであれば、感情に圧倒されてしまわないように、安全な場所を探して移動しているということかもしれません。溢れ出して日常生活を支障しそうなくらいになっている感情から逃れようとしている自分に対して、「気にしないようにしていたけど、実は自分はギリギリのところまで追い詰められているのかもしれない」という視点で、自分の感情の状態を見つめてみるといいかもしれません。
一方で、プールの場合には、感情は所定の場所に収まっている、という見方をすることができます。プールは、川や海、湖などとは違って自然にできたものではなく、人が目的を持って作ったものです。つまり、自分の認識範囲内・コントロールできる範囲の感情という意味があるかもしれません。どんなプールだったか(競泳用のプールなのか、リゾートなのか、誰かの家のプールなのか、子供用、大人用なのか、浅いのか深いのか、どんな場所にあるのか)などを考えていくと、自分の現在の感情の状態や見えてきます。
例えばくつろぎやリラックスが目的のリゾートのプールであれば、自分の感情が穏やかであり、リラックスしている状態という意味があるかもしれません。感情に癒しを見出すことができる、という意味もあるかもしれません。
競泳用のプールで練習をしている夢であれば、自分の感情に溺れないよう鍛えているという意味も考えられますし、潜在意識や無意識からの影響やその向き合い方について、自分が何らかの訓練・練習をしている、という解釈もできるのかもしれません。プールには他にどんな人がいるのか、楽しいのか厳しいのかなど場の雰囲気なども解釈の材料になっていきます。
川であれば、感情が流れている、動きがあるという意味が感じ取れます。川の水はやがては海へや湖へと流れ着きますので、現在の自分が「感情的な体験の途中にいる」という意味もあるでしょう。その川が渓流なのか街の中を流れる河川なのかによっても意味を探ることができますし、水の色が澄んでいるかどうかや、流れのスピードからも分かることがあるかもしれません。
このような感じで、夢のシンボルは夢の意味を探るための入り口として使っていきます。シンボルだけに注目しても深い意味を読み取ることはできません。なぜなら、たとえば競泳プールが出てきたときに、夢を見たその人が泳ぐのが得意だったか、そうでなかったかによっても解釈が変わってきますし、川であっても、河川の近くで育った人と、川に馴染みがない人とでは、夢が伝えてくる意味も少しずつ違ってくるかもしれません。
ドリームワークをしながら夢の解釈をしていくと、必ずと言っていいほど「あ、そういう意味があったのか!」と、腑に落ちたり納得したりする瞬間が訪れます。そこで「気づき」のようなものを持つことによってその人の姿勢や意識が変わることが、ドリームワークの目的であり、醍醐味でもあります。
夢の意味は一つだけということはない
夢の世界を散策することの大切なお約束の一つに、「夢が伝えてくる意味がたった一つだけであるということは絶対にないことを理解すること」というものがあります。物事にいろんな側面があるように、夢にもいろんな側面があります。夢が伝えてくるメッセージには多様性があり、「こう意味があったのかも」「ああいう意味もあったのかも」というふうに、夢の意味を読み解いていこうとすると、思いがけずさまざまな意味や可能性を見つけることができます。
正解が一つではないということが前提で行ってゆくワークなので、創造性や思考の多様性を鍛えるエクササイズとしても活用することができます。最近のアメリカでは、例えばハーバード大学やスタンフォード大学などのトップクラスのビジネススクールの授業の一環にドリームワークを入れることによって、生徒のクリエイティビティやイノーベーション力を活性化させる、という活動も始まっているそうです。
私個人の経験としても、ドリームワークをはじめたことによって思考の幅が広がり、物事の捉え方や感じ方がより多次元的になってきたと感じています。ドリームワークを学んだことによって、より生きやすくなってきたような気もしていて、多様性が求められる現代社会においては、とても利益のあるワークなのだと思います。そして何よりも、ドリームワークをすることによって、自分に対しての思いやりを育てることができるというのも、このワークの大きな利点です。自分の状態や様子を、夢という媒体を通して客観的に観察していく作業なので、自分に対して優しいアプローチで付き合っていくスキルが身についていきます。
最近、自分自身と繋がれていないなとか、自分に優しくできていないなと感じる方におすすめのワークですし、またカウンセラーやライフコーチなど、心のケアのプロフェッショナルの方々が、自分のケアをするツールとして使っていくにも、とても効果が高いワークです。
ドリームワークを通して心のケアをする「ドリームセラピー」のセッションにご興味がおありの方は、こちらをご覧ください。
Kommentare