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不幸の理由がなくなると



ハッピーになりたいのであれば、自分の人生の中の「不幸の理由」を減らせばいいのでは?単純にそう考えてしまいがちですが、実は不幸の逆の状態が幸せ、ということではないようです。つまり、不幸でなくなったら幸せになる、ということではいということ。言葉上は不幸の対義語は幸福と解釈されますが、人の心理的な感覚としては、不幸でなくなったから幸せになれる、というわけではありません。

では、自分を不幸にしている理由が消えたら、どんな状態になるのでしょうか?それは、「ニュートラル」な状態です。以前のようにもう不安になったり心配しなくてもいい、ニュートラルな日常がやってきます。ありきたり、普通、平凡、フラットなどという言葉で言い換えられることもあるニュートラルな状態とは、ストレスホルモンが過剰放出されていない状態です。

そしてそのニュートラルな状態から、「幸福」になるための決断と選択をする場合もあれば、再び不幸せの材料を探しはじめる選択をする場合もあるります。

人って不思議だなと思います。なぜならニュートラルな状態に虚しさや空虚感、そして不満を感じることがあるから。もっと幸せになりたいと願いつつ、無意識レベルではストレスを感じる状態が恋しくなっているという、それはそれは不思議な矛盾を起こしていることが、珍しくないのです。そんなバカな、と思うかもしれませんが、でも考えてみてください。私たちは1日の中で何度も何度も未来に対して不安を感じたり、小さなことに苛立ったり腹を立ててみたり、嫌な過去を思い出してみたり、自己批判したりなどして、「現状に満足できない状態」を作り出していると思いませんか?

それが悪いことというわけでもなくて、自分で分かっていて納得しているのであればいいと思うのです。そして、人間がそういうふうに機能してしまうのにはきっと理由があるはずです。脳や生理学の専門家ではないので憶測に過ぎませんが、たとえば、定期的にストレスホルモンにさらされる状態を体験することで生物としての遺伝子の免疫力を上がているのだとか(何千年何億年をかけたDNAレベルでの成長という意味で)、追い詰められたことによって活性化する細胞があるとか。実際に、アドレナリンが出ることでパフォーマンスが上がる場合もありますし、適度なストレスや緊張感を感じることは悪くないとも言われています。

でももしも、自分で分かっていない状態で無意識にストレスを求めているのだとしたらー。それはちょっと困りものです。人が持っている引力は、自分の意識の向いていることにリンクしています。無意識レベルでストレスを求めているとすれば、きっといずれは再び不幸の材料を集めてしまうかもしれません。自分の人生はどうしてこんなチャレンジばかり起きるのだろうと嘆くとき、尋ねてみたい質問としては、「それは自分が求めていることなのでは?」ということ。「労働の後の一杯」がものすごく美味しく感じるように、苦労が多いからこそ「生きている意味」を深く感じられたり、何かが叶った時に極上の喜びを感じるという無意識レベルでのストイックな人生観を持っている人もいます。人生観は、自分で作ってきた物もあれば幼少時代の体験や大人たちの価値観に影響されているもの多くありますから、もしストイックな人生を卒業したいと思っているのであれば、途中で立ち止まって自分の内側を覗いてみるワークが必要な時が来ているのかもしれません。

 


もう一つ、自分に時折尋ねてみたい質問があります。それは、「ニュートラルな状態に深く感謝できていますか?」ということ。自分のいる状況が平和であるということに感謝していますか?その状態だからこそ感じられる喜びを、しっかりと味わっていますか?

少し前のことになりますが、「マインドフルネス」の思想がブームになりはじめた時、それに続いて見直された思想が「感謝すること」でした。たとえば、今日のいまこの瞬間に感謝できることを10個づつ並べてみます。そしてその10個のリストを毎朝眺めて再確認します。もしさらに新しく足したいことがあればリストに加えて毎日眺める時間を持つ、という習慣を一週間から十日間ほど続けた人は、幸福度が10~20%上昇するというリサーチがあります。たったそれだけで幸福度が上がるなんて素晴らしい。シンプルだし無料で体験できるのです。

でもこの作業、かなり地味です。もしあなたがアドレナリンを求めるタイプの人だとしたら、ちょっと面倒だとさえ感じるかもしれません。こんなに簡単であるにも関わらずです。そんなことで自分が幸せを感じるはずない、と決めつける人もいることでしょう。私はそんなに単純じゃないとエゴが囁く場合もあれば、小さな幸せじゃなくて、もっとビックな幸せが欲しいのだと思うかもしれません。もしくは、地味に幸せになるとやる気が落ちて、人生の生産性が下がるのではと疑問を感じたり。

人が語る幸せと不幸の定義って、本当に面白いなと思います。人間という複雑な生き物そのもののような気がします。幸せだからいい、不幸だから悪いということでもないですし、全てはその人の人生体験です。でも心のケアの観点から考えると、目指すのは「ニュートラルな状態」であり、そしてさらにはそのニュートラルな状態を利用して、人生に生きがいを見つけたり目標を設定してコツコツ目指したり、自分や周りの人たちに愛を表現したり、そういうことをして退屈感や空虚感を排除していくことかなと考えています。ニュートラルな状態の中でも小さなアップダウンはありますし、不幸と言わないまでもチャレンジや大変さは当然起きているわけなので、その中で工夫しながら生きていくのが理想的な人生なのだはと感じています。

そして、その人の「幸せ・不幸・ニュートラル」な状態は、その人にしか分からない尺度で決められていると思います。他人から見ると不幸に見えたとしても、当の本人はそのチャレンジに感謝して学びの機会を最大限に活用している場合もあります。その逆も然りで、幸せの絶頂にいそうな人たちが、実はそうでないということもあります。また、その人が思うニュートラルの一定領域もきっと人によって違うはずです。


自分の今の状態がどの辺りなのか、ときどき確認してみると、また新しい発見があるかもしれません。


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