響きあう暮らし方
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これまで、幾つもの家に住んできました。けれど、家そのものと「出会った」と感じたのは、この場所が初めてかもしれません。
初めて内見に来たとき、まず空気の透明さに息を飲みました。そして、車を降りた感じた柔らかい木漏れ日の光と、風に揺れる植物たちの中にひっそりと佇む、その不思議な建物の造形。中に入るまでもなく、すでに強い衝撃のようなものを感じたことを覚えています。
オハイオに引っ越してきて、もうすぐ四年になります。カリフォルニア州サンフランシスコから、それまでまったくご縁のなかったこの土地へ移り住むことになり、まるで何かに導かれるような流れの中で、「オーガニック建築」と呼ばれる思想のもとに建てられた築70年の家を購入して住むことになりました。
八百万のエネルギー
人生の中で何度も引っ越しをしてきて感じているのは、人と人との間に「出会い」という不思議な縁があるように、人と家との間にもまた、出会いがあるのではないかということです。
一見すると当たり前のように思えるかもしれません。でも実際には、私たちは住まいを探すとき、広さや立地、価格、設備など、さまざまな条件を並べて探しています。そのため、家を一つの「物件」として捉えてしまい、その家との間にあるかもしれない特別なご縁を、あとから意味づけるもののように考えてしまうような気がします。
とくに西洋的な価値観が一般化している現代では、かつての日本人が自然に抱いていた「モノや場所にも魂が宿る」というアニミズム的な感覚を、どこかで忘れてしまったかのようにも感じられます。私自身も、アメリカで暮らす時間が長くなるにつれ、日本人としてのそうした感覚を見失い、効率や条件を重視して物事を判断している自分がいることに、ふと気づかされることがしばしばあります。
そんな中で出会ったこのオーガニック建築の家は、もともとあった土地の形状をできるだけ壊さず、その土地の個性に寄り添うように建てられています。丘のゆるやかな起伏や周囲の木々の流れを生かすようにして建てられたその家には、どこか家と土地とがひとつになっているような感覚があります。建物の中から外を眺めるとき、土地そのものが静かに息づいているような、そんな不思議な感覚を覚えるのです。
もしかするとそれは、かつての日本人が当たり前のように感じていた、八百万の神々の気配に少しだけ近づいた感覚なのかもしれません。出会った、と感じたのは、そういったエネルギーに対して、自分の何かが共鳴したからなのかもしれないと思います。
場と響きあうという感覚
日本人は昔から、土地の神様や家、そして自然に宿るスピリットを大切にしてきた民族です。日本古来のスピリチュアリティである神道は、さまざまなものにエネルギーが宿るという思想を持ち、自分が身を置く環境にリスペクトを捧げてきました。
たとえば、神社という特別な場所に行かなくても、一般的な古民家などに入ると家の中に神棚があったり、町の中にはひっそりと水神様や祠が祀られていたりして、私たちは古来から共に暮らしてきた八百万の神々の存在を感じることができるのです。
以前に、片付け専門家の近藤麻理恵さんの本が世界中で大ヒットした際、欧米の友人たちから、コンマリさんのメソッドの中にある、「家にご挨拶をする」とか、「モノにお別れを言う」などの儀式について、私が日本人であるということで、質問されたり意見を言われることがありました。
「家や部屋にスピリットが宿っていると考えるなんて変」とか、「いらない物を捨てる前にありがとうさようならを言うなんて不思議」といったようなことです。そのとき、日本人にとっては比較的に自然な、「物や環境への気配りや神秘的なことに対する観点」に欧米の人々との大きな違いを感じました。
そういう経験を経て、オーガニック建築の家に出会った時に感じた「自然と響き合う」感覚に、何か懐かしさというか、日本的な感覚を思い出したのだと思います。
オーガニック建築の父と呼ばれるフランク・ロイド・ライトは、日本文化を愛したアメリカの建築家です。この家の建築家も、そんな彼のもとで修行して基礎を養いました。
石や木、レンガといった当時安価だったシンプルな材料をもとに建てられた特殊な形をしたこの家は、家に使われている材料も自然に還やすいものばかりで、暮らしそのものに優しさや癒しが宿る気がしています。でもその分、利便的な面では一般的な家には劣る部分もあり、不便さを感じることもあります。たとえば、家具がほぼ備え付けなので自分の好きなものが置けないことや、平屋なのに土地の形状を重視した結果、家の一部が半地下になっている、などといった効率の悪さがあります。
また、所有するということは、この家との対話を重ね、お手入れを続けていくということでもあります。過去70年の間に住んできた人たちが、それぞれ少しずつ必要な部分を治して手を入れて暮らしてきています。手を入れた場所がのちに住む人にわかるように設計図や文章がきちんと残されていて、写真やメモ書きなども保管されています。中には以前住んでいた人の家族写真なども一緒に保管されていたりして、家の歴史だけではなく、住んでいた人々の足跡も感じることができるのです。
ときおり、初めて訪れた時に「出会ってしまった!」と感じた衝撃の瞬間、そして手続きが済んでここに住むことが決まった時に芽生えた、「次の守り人に任命されたのだ」という感覚を、ふと思い出すことがあります。いつかまた、次に住むことになる人々にバトンを渡すまで住まわせてもらいながらお手入れをする役目。そんなことを感じたことを、はっきりと覚えています。
この家の中で、いまあらためて感じるのは、人にも場所にも家にも役割があるのでは、ということです。家や庭が私に癒しを与えてくれて、それをこちらはお手入れする役割を通してサポートしていく。お互いが役割を果たしながら、支え合っていくのが「場や人と響きあう」ことなのではと感じています。
自分のたどり着いた場をあらためて振り返り、そこでの役割をどんな風に務めていきたいのか。そんなことを感じながら、暮らしています。
