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インナーチャイルド 



しばらく前のことになりますが、メキシコに心理学・のカンファレンスに行った時のことです。現地に住む友人の提案で、「テマスカル」という、現地に伝わる蒸し風呂の儀式を体験しました。事前情報によると、テマスカルトは何人かで「子宮」と呼ばれるテントのような掘りの中に入って、ハーブなどの蒸し風呂&食事を取る体験だと聞いていたので、長旅で疲れた自分にはちょうどいい癒しになりそうだと思い、深く考えずにサインアップしたのでした。以前にカンクーンなどのリゾート地に行った時にもスパのメニューにあった気がするな、というような気軽な気持ちで。


仲良のいい友人たちと待ち合わせて、指定されたに場所に到着しました。ホテルのスパ体験をイメージしていた私たちでしたが、到着した場所は、現地に住むシャーマンである、ダイアナさんという方のご自宅です。


通されたのは、とても素朴なお家の裏庭です。そこには、原住民的な?堀があり、外では火をガンガンにたいて焚火が行われています。火の中では大きな石が焼かれていて、どうやらその石たちを堀の中に入れて、水をかけて「蒸し風呂」空間を作るようです。堀の中が暑くなること間違いなし。なるほど、たくさん水分補給して来てね、と言われていたことに納得します。


ダイアナさんは、先祖代々伝統的な原住民のシャーマン家系に生まれた方だそうで、民族衣装を身にまとい、お浄めをしながら「アルター」を整えています。この人は「本物」の雰囲気がする・・・。そんなことをコソコソと話し合う私たち参加者。シャーマンと呼ばれる方にはこれまで何度かお会いしたことがありますが、彼女はまさに異次元世界とコンタクトを取る「シャーマン」というお仕事がふさわしいとすぐに納得できる雰囲気。特徴的なのは、フワフワした感じが全くなくて、逆に力強く大地に根付いたオーラを発しているところです。とても美しい彼女の瞳を見てると、どこか違う次元へと吸い込まれそうになります。


アシスタントの男性二人が、焚き火を調整しながら儀式の準備をすすめているのを眺めつつ、予想外に本格的な場所に来てしまったことに内心戸惑っている私たち。「長い夜になりそう。」と、参加者の一人がつぶやくのを聞いて苦笑いしつつ、「ああ、なんで来ちゃったんだろう・・・。」と、考えていました。


私を含めて、参加者は全部で8人。水着への着替えをすませて、まずは「浄化」の儀式します。「子宮」の中は聖なる場所なので、それぞれが儀式への「心構え」みたいなものを決める作業もします。


そして、一人づつ、狭い入り口から四つん這いになって堀の中に入ります。中はとても暗くて、中央部にはくぼみが作られてあり、そこには焼かれて赤々している大きな石が何個か置いてあります。床にはブランケットが敷いてあり、皆が快適に座ったり横になれるようになっています。


今思えば、なんでそんな風に感じたのかわからないのですが、でも私は中に入った瞬間「何かとんでもない体験をすることになる」という予感がありました。そして、隣に座っていた親しい友人のカレンに、「私、やっぱり帰りたい気がする。」と小声で伝えます。すると、カレンも同じことを思っていたようで、「あなたが出るなら私も一緒に行くわ。」と言います。儀式が始まる時に、シャーマンのダイアナさんに伝えて出よう、とひそひそ話で打ち合わせをしました。「よかった、帰れる!」ほっとした私だったのですが、残念ながらその計画は実行されませんでした。。。


簡略すると、出ようと試みた私たちを、シャーマンのダイアナさんが上手に説得した、という感じです。あまりにも上手に説得されたので、それ以上何も言えなくなってしまうような具合でした。帰れると思っていたのに、後戻りができないのだということを理解した私は、急にドキドキしてきました。閉所恐怖症ではありませんが、もしそうだったらこんなふうに感じるのかもしれないと思わせるような、軽いパニック状態です。


ダイアナさんが歌を歌い始め、そのほか二人のアシスタントが太鼓などの楽器を叩いてそれに続きます。私を含めたそのほか8人の参加者も何らかの楽器を手渡され、一緒に「チャンティング」をします。


室温はどんどん上昇し、皆の歌声も大きくなり、始まっておそらくまだ20分も経過していないはずなのに、なんだか意識がもうろうとしてきました。すると、ダイアナさんが、「一人づつ、この場で吐き出したいことを言葉にしなさい。」と、指示します。


「いやだー。疲れているのに、そういうことはやりたくない。」そう思う私の気持ちなど関係なく、皆がそれぞれに、この場で浄化したいことや、抱えている思いなどを順番に言い始めます。最後から3番目の自分の順番がやってくるまで、私は自分が一体何を吐き出したいのか分からないと思っていました。でも、順番が来ていざ口を開くと、驚いたことにスラスラと、幼い頃に体験したある出来事によって生じた、小さなトラウマに関することが出てきたのでした。最初は英語で話していたのですが、途中から「英語だとちゃんと気持ちが吐き出せないから、日本語で話します!」と言い、皆が「Yes!」と答え、気がつくと私は溜まっていた?感情を号泣しながら語り出していました。


ちなみに、私は人前で感情的になるタイプではなく、どちらかというと感情を内側にこめて、表面は常に穏やかさ理性を保つタイプ、だと周りには分析されています。人前で過去の思いを語りながら号泣するというのは全くもって自分らしくなく、とても稀なことでした。


頭のどこかでは、「え、あんな昔のこと、まだ抱えていたの。私、しつこくない??」などと考えている自分もいるのですが、それ以上に、この場で吐き出せることは吐き出したいという、コントロール不可な力が働いていたように感じます。心のケアに携わるものとして、自分の心の癒しは若い頃から積極的にやってきていたつもりでしたが、この儀式で出てきたものは、たとえばミルクを飲んだ赤ちゃんがゲップをするために背中を叩かれている時みたいに、まだ残っていた出すべきもの、出そうで出ていなかった感情を、背中からぽんぽんと叩かれてやっと吐き出せたような、そんな体験でした。



インナーチャイルド


インナーチャイルドとは、言い換えると心の中にある「子供心」のようなものです。私たちは、大人になる過程において、「社会の中で大人らしく振る舞わなければならない」というプレッシャーから、自分の中にある純粋さを抑え込んだり、隠したりすることを余儀なくされてきています。


すっかり大人になった今、私たちは自分の中にまだ子供心が残っているなんて思えないものなのですが、でも、実はちゃんと誰の心にも残っているのです。子供心は、自分の純粋さのシンボルとして、そして、その純粋さを閉じ込められた傷を抱えたまま、私たちの心の奥に存在しています。彼・彼女は、いつか自分の存在を思い出してもらえることを願っていて、そしてまたいつか、「自分らしく」生きられるかもしれないと期待しながら、大人になった私たちを見つめています。


多くの場合、人は人生の後半になってから再び子供心を解放させることが多いようです。社会人として十分にやってきたと思う時、そして自分の人生に何か物足りなさを感じる時、「もっと自分らしさを出していいかもしれない。もっとやりたいことをやってもいいかもしれない。」そんな気持ちを感じた時に、あなたの中に潜んでいた子供心は「やっと自分の出番がきそう!」とワクワクしています。なぜなら、子供の頃に惹かれていたことや、感じていたこと、夢中になって取り組んだことには、必ずと言っていいほど自分を再発見するヒントが隠されているものなのです。


一方で、人によっては人生の途中に「自分探し」をすることになることもあります。自分のことがわからないと感じたり、人生で迷子になってしまったとき。そこには、抑え込んできた「本来の自分」のエッセンスをたっぷりと持っている子供心への「癒しと解放」に、現状を打開するきっかけがあったりします。


子供心は「本来の自分」のエッセンスをたっぷりと含んだエネルギーのかたまりです。自分のもともと持って生まれてきた性質や感性、ユニークな視点からものごとを体験して、枠に囚われない考え方をすることができる、ピュアでまっすぐな存在です。大人になった私たちは、自分らしさを抑えてでも社会や常識に適応しようとする傾向がありますが、子供心はもっと真っ直ぐに、自分独自の観点から人生を体験したいと願っています。


そして、そんな子供心と、現在の大人の自分の感覚が調和をもって統合されるとき、私たちは「本来の自分らしさ」を自然に表現しながら、でも幼いやり方ではなく知恵と成熟した感覚で、新しい人生を歩み始めることができるようです。



インナーチャイルドを癒す


多くの場合、私たちの中に存在するインナーチャイルドは、とても傷ついています。なぜなら、社会の中で常識や適合することを学ぶ体験は、「ありのままの自分」を少なからず変えてゆく作業だから。


親や周りの大人たちの望む自分であろうとして自分を抑え混んでしまったり、もしくは学校生活に馴染むために周りに合わせるようになったりなど、さまざまな過程を経て傷を抱えてゆきます。心の傷は深い悲しみとなることもなれば、セルフエステティーム(自尊心)に影響を及ぼして自分への自信に影響したり、そしてときにはいじけていたりひねくれたり、シニカルな表現として形を変えて、その人のキャラクターに影響したりもします。


そのため、子供心を解放させて本来の自分らしさを復活させるためには、この傷ついたりいじけたりしているインナーチャイルドを癒してあげることが必要になります。


どんな風に癒されていくかは、本当に人それぞれです。セラピストや心理カウンセラーとワークすることで少しずつ癒されてゆく人もいれば、創作活動をしたり、旅の体験を通して癒されることもありますし、自然の中での暮らしや、誰かとの出会いによって癒しがスタートする人、子育てをしながら子供時代を再体験することで癒しが始まる人もいます。


本当にいろんな方法がありますので、その人それぞれに合ったスタイルで癒してゆくのがいいと思うのですが、でもある程度の時間がかかることだというのは、誰にとっても共通していることだと思います。あっという間に意識がシフトするというよりは、何かをきっかけにしてスタートして、そして時間をかけて癒され、元気付けられ、やがては大人になった現在の自分と調和されてゆく、といった具合に、焦らずにじっくりと取り組んでいるうちに、「きちんと向き合ってきてよかった!」と心から思えるような、新しい自分に出会うことになります。



ちなみに、私がはじめて体験したテマスカルは予想以上に濃い体験だったのですが、その2年後に再び同じ土地を訪れてダイアナさんのテマスカルに参加した時は、前回とは全く違った、ひたすらにリラックスの体験となりました。リラックスしすぎて、なんと途中で眠ってしまったほど。ある意味、普通に岩盤浴して中で果物とか食べたな、みたいな感じだったので、前回と違いすぎて拍子抜けしました。


現地に住む友人によると、テマスカルが私が一度目に体験したような、深くヘビーな体験になることは滅多にないのだそうです。「やっぱりダイアナはすごかったね!」と言っていたのですが、そのシャーマンのダイアナさんも、あれは自分が取り仕切った儀式の中で3番目に長かったの、と後で話していて、その場の参加者の、その時のエネルギーが儀式の内容に影響を及ぼしているのだと話してくれました。実際に、結局は全部で6時間にわたる儀式となり、私も含めてあの場にいた全員が、なんらかのトランス体験や深い癒し体験をしていたようで、それがトランスパーソナル心理学の同僚たちだったからなのか、仲良しグループで安心できていたからなのか、それともその時の私たち全員がなんらかの深い浄化を必要としていたからなのかはわかりませんが、なんにせよ、滅多に体験できない深い時間だったのでした。


※室温はどんどん下げられていき、儀式の途中で水分補給や軽食、空気の入れ替えが何度か行われましたので、脱水症状を起こしたりということはありませんでした。


堀に入ったときに感じた嫌な予感は、今思うと自分が変わっていくことへの恐れ、だったのかなと思ったりもします。「あのとき、辞めさせてもらえなくてよかったよね。」と、翌日カレンと話し、そしたら実は一緒に参加していた他の友人二人(男性)も、「あのとき、君たちが出たら自分たちも便乗して出ようと思っていたんだよ!」と、後々告白しました。あのただならぬ雰囲気が怖かったのは他の人も同じだったようです。振り返るといい思い出・体験でしたが、言葉では説明できないほど、最初は怖かった。それが「癒し」や「変貌」が起きるときのサインだったようです。その後、自分が一皮(もしくは二皮?)くらい脱皮したような身軽さを感じましたから。


まだまだ癒しは続くし、気づきは人生の体験は一生ものの旅路なのだと思いますが、できる限り真摯に取り組んでいきたいなと思うのです。


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